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Posted by ミリタリーブログ  at 

2015年11月22日

神風特別攻撃隊・敷島ゼロ戦隊、特攻専用機「桜花」母機一式陸攻



三沢アメリカ村スカイプラザミサワ広場上空、取敢えず爽快に晴れています。今日も良い日でありますよう。ネットを見ていたら、胸にジンと来るのを見ました。感情にだけ流されてはダメだけど。大戦時、上層司令部の公式な命令で一番最初に特攻作戦を実施した帝国海軍航空隊の編隊長関行男大尉の談話がある海軍報道班員のもとに残っていた。『日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある!僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう!?』 マバラカット基地近くのバンバン川にて・・・・。
さらには、人間爆弾と言われた特攻専用機「桜花」を装備した一式陸攻・神雷部隊の18機も護衛戦闘機が当初予定の半数しか参加できず、神雷部隊は目標の遥か手前で全機撃墜された。この部隊を指揮した神風特別攻撃隊神雷部隊第1回桜花部隊隊長 野中少佐も『この槍(桜花)扱い難し』、『俺は国賊と罵られても、桜花作戦だけは司令部に断念させたい。』と言ってるがすべて現場の声は上層司令部にとどかず。当時の特攻に対する正式な命令書の内容を紹介しよう。『現戦局ヲ考エ艦上戦闘機24機ヲモッテ体アタリ攻撃隊ヲ編成ス。本攻撃隊ハ、コレヲ四隊ニ区分シ、敵機動部隊ガ東方海面ニ出現ノ場合、コレノ必殺ヲ期ス。成果ハ水上部隊突入前ニコレヲ期待ス。今後艦戦ノ増強ヲ得次第、編成ヲ拡大ノ予定、本隊ヲ神風特別攻撃隊ト呼称ス。』 (昭和19年10月21日付第一航空艦隊命令) ということです。
  


Posted by tsuzuki  at 11:15Comments(0)