2016年06月02日

何故、在日米軍三沢航空基地が三沢市にできたか?太平洋初の無着陸横断機が物語る

三沢市と言えば、勿論、アメリカ人二人の青年による偉大な冒険チャレンジの世界初の太平洋横断成功の飛翔地である。これまでの歴史的な事実の中でたった一つ解析できなかったことがある。当時の白黒写真のカラー写真解析であるそこで大枚掛けてやってみた。1枚目が当時の白黒写真、二枚目が解像復元写真である。これまでは先端のエンジンカバーが赤だ、黒だと言われてきたがこうしてみると前部エンジンカバー、後部エンジンカバーとも黒色である。もっとも気になったのは機体の色であるが、今まではオレンジ色と称されてきたが、光の反射のこともあるがどうも実は星条旗のバナーラインカラーの色のようである。当時は日米険悪な状況下で、旧陸軍、特高(警察)の監視もあり、機体を改造することすら危険な状態であったし機体に星条旗フラッグマークを展着出来ないこともあってか、機体そのものをバナーカラーの赤色にしたのでは?思えば、こんな些細な機体色のことでも当時のアメリカ人青年の旧日本陸軍軍部、警察に反骨する思いがひしひしと伝わってくる。三沢市が航空機とは切っても切れない地形、気象状況下に所在することによってミスビードル号の世界初の太平洋無着陸横断飛翔の地をはじめ、旧日本海軍航空隊基地として運用、敗戦後はアメリカ陸軍航空隊による接収という歴史的な変遷を得てきている。

アー、スッキリ独り言。  


Posted by tsuzuki  at 14:51Comments(0)